とかく最近の若いもんがよく使う表現に「心が折れる」というのがあると思います。
失礼ですがここで言う若いもんとは60歳以下全てです。
昔の人はそんな表現をしなかったのか、はたまた折れない心を持っていたのか定かではありませんが、よく耳にする。
僕のしてきた仕事が営業という職業柄か、他の仕事より精神的にこたえる面もあると思いますのでよく聞くのかもわかりませんが、とかくうちの社員に限らず周囲で本当によく耳にします。
心が折れるって何なんでしょう?
折れそうになるって何なんでしょう?
張りつめていた緊張がプチンッと切れる切れそうになる状態でしょうか。
「もうダメだ」と思う状態なんでしょうか。
もちろん僕もいわゆる「心が折れそうになる」ことはなきにしもあらずかもわかりませんが、「折れる」そして「折れきる」という選択肢がそもそもないのでその瞬間に心を修復します。
最悪睡眠により修復します。
こういう時は必ず寝る前に独り言で「明日には復活や」という類いのセリフを声に出してはき、朝起きたら回復です。いや回復したと自分の脳に暗示をかけ、そうしているうちに脳が「回復しているんだな」と思い込み、結果本当に回復です。
僕なりの考えですが、不安を抱えている人間の心の周期はだいたい2週間でサイクルします。
自身を持って言えるのが1ヶ月ではなく、1週間でもなくその間なんです。
理由はわかりませんが、とくに自分がこの仕事でやっていけるのかな、自分に未来はあるのかなと考える人のマインドはその周期で波打っているような気がします。
ですからそういう悩みを抱えている人とは1ヶ月空けてコミュニケーションをとるとあまり良い方向にはいかないのが常だと感じます。
現代の人は心が弱すぎます。
特に女性より男性が弱い気がします。
小さいときからの教育にもっと力を入れないといけないと感じます。
道徳を教えないといけないと切に感じます。
この世っていったい何なんでしょう。
京セラの稲盛さんが言われています。「何のために生きていると考えたら、それはこの世で魂を磨くために生きている」のだと。「死ぬ時、体や地位や名誉や財産などは全て無くなりますが、魂だけは持ってあの世へ行く。この世でいかに魂を磨いたかによって天国にも地獄にも行くことになる」と。
その考えに基づくと、いわんや心を折ってしまうのはこの世に生を受けた意義を全うしていないように感じるのは言い過ぎでしょうか。
心を折っていられる状態はむしろ楽チンだし、幸せだと思います。
折りたくても折れない状態って多々あると思いますし、そんな人は本当にたくさんいます。
おじいさん世代は絶対にそんなことは言わなかった。
いや、言いたかったでしょうし、少なくとも折れかけた人はたくさんいたと思いますが強い精神力で修復してきた。
学校や職場では若い人ほど「我慢する」ということを教えなければいけないと思います。
歯をくいしばって「何くそ」と考えなければいけないと思います。
営業をしていたらいろんな事で頭がいっぱいになります。様々なことで悩みます。
でも、僕は思うんですが、悩まないようになったら終わりであると。くよくよでも良いですし、あの時…とか、どうしたら…という悩みや思いってとても大切ですし、その思いがなくなったり感じなくなったら営業をやめたほうが言いとまで思います。
社員には「いっぱい考えよ」とか「悩んでください」という類いのことをよく言います。それはその人のその状態が健全な状態であるので僕は一層後押ししています。
悩まないと進みませんし、悩み無く全てうまくいってきた人などいないと思いますし、そこからがスタートだと自分自身においても思っているからです。
心が折れておられる状態っていうのは幸せです。
本当に逼迫(ひっぱく)したり、逃げられない状態になればそんなポキポキ心を折っているわけにはいきません。
その選択肢がなくなります。
そこが僕の考える武士道であると思います。
武士は最後は切腹します。それはどういう行為であるかと言いますと「1回きり」の行為なんです。そこには重さがありました。
そこにすごい崇高な意思があったからこそ日常さほどのことにおいて折れなかったんではないかと考えます。
折れない心を養う。僕はこれには読書が一番だと思います。
読書によって心は間違いなく強くなりますし、楽になります。
僕自身がそうですし、折れることができないという精神力が身に付きます。
折れることができない、その選択肢が無くなった時、人は本当の力を出し切れるんではないかと僕はいつも考えています。
偉そうなことを言ってすみません(感謝)。