国というのは法によって治めれています。国の中だけ。
どういうことなのかと考えますと、それは権力が自らの政権を維持するための手段であり、それが正しいか正しくないかは関係ないということが浮かんできます。
そして、それはその権力が及ぶ範囲においてもたらされるものなのだととても感じる。
これは平昌のオリンピックに笑顔で来ている北朝鮮の幹部や、それと握手する韓国の大統領、何より我が国の安倍総理をテレビで観て思うのです。
日本国内で人を殺したら、また、人を殺すように指示したと断定されたら、逮捕され、刑務所に入れられ、自由を拘束される。
極論それが疑いの段階でも指示された通りに警察は動く。
独裁国家で、彼らの国内で何をしているかわからないような人間ではあるが、法という手段が及ばないところにあるので、日本や韓国はその国の権力に対しては笑顔で接する。
それは表面上ではあるかもしれませんが、逮捕するという概念自体がそもそもない。
もっと言えば彼らの国内で何があろうが、それは干渉すべきではないくらい思っている。
話は少し変わりますが、森友や加計問題などありましたが、籠池さんはなぜこんなに長い間留置されているのでしょう。そこまでの大犯罪だったのか。
どのような目にあっているのかわかりませんが長くないでしょうか。
加計さんはほとんど取材も受けない。法に触れてないという判断でしょうが、法って自己都合であると私は強烈に最近思うのです。
法の及ぶ範囲においては権力は全力でそれを維持しようとする。しかし、その範囲外において起こる同等の出来事に対しては黙認する。
そういう事を考えると、刑罰というのはそもそもどういう考え方のもとに成り立っているのかと考えてしまうのです。
悪い人間を罰するためというのもありますが、政権側が自身の保身のために用意した手段の一種という側面も多分にあるように思います。
それは企業でも、学校でもチームでも組織なら多くが当てはまるのでしょうが、考えれば考えるほど国とは何かと思うのです。
歴史は勝者が書くものですし、創るものです。現在もその勝者や権力の力において、鎮められている人や物事があるのだろうなと思います。
権力どおしが均衡したとき全ての物事は棚上げになる。しかし、絶対的な権力の中に存在しているというとき、そのときはその権力の正義の支配下にあるのだと改めて思います。