この季節になるとよく草が生えます。
先週抜いたと思っていたらもう20センチくらいに復活しているなんてザラ、あのたくましい生命力には感心します。
先週、太子店のオープンイベントの時にうちのある店長と話をしたんですが、草が店舗や事務所のまわりに生えているところって非常に多いです。
私は性分なのかそれが気になってしょうがないんですが、あまりそれは気にならないものなんでしょうか。
端からみるととても流行っていそうな飲食店でも、往々にして草が生えているところがあります。
それも裏ならまだしも玄関周辺やアプローチのタイルの際にたっぷりと。
私はその店長に聞きました。
「店長や店の責任者の立場で、またその店の従業員は草は目に入らないものですか?」
彼は言いました。
「いつも同じ道を通って朝から晩まで店の中で働きますから外部に目が行かなくなるんでしょうね」
もう視界に入らなくなるのでしょうか。確かに、流行っている店は店の中の調度品等はきれいにされている。神経がそこに集まってしまうのか。
よくよく考えてみましたら、みているところが違うのかなというような話もしました。
私は学生の時アルバイトをしていました。
飲食店でも働かせていただきましたが、そういえば「今日はみんなでアイドルタイムに草を抜くぞ」と決められた時以外、草抜きなどしたことがないなと思いました。
ある回転すしでアルバイトをしていた時のことを思い出したんですが、いつもそんなことはその店の長老のパートのおばちゃんがしていた。
夕方に「おはようございます!」と店に行くとせっせせっせとそのおばちゃんは草を抜いていた。
私は挨拶すると仕事の持ち場につきやるべきことをこなしていた。
そして、今思うととても仕事を自分ができているように錯覚していた。
ホールをまわす。寿司を握る。シャリを炊く。お皿を洗う。レジを打つ。これらのことをしていましたが今思えばかなりの近視眼的思考に陥り、そんな自分がよく仕事をできていると自分で錯覚していた。
本当はよく仕事ができているのはそのおばちゃんで、年も50代後半でしたので動きは私のほうが早いですが、正確さは負けていますし、そのおばちゃんはもう10年以上いますので何でも知っている。そして何より「全体がみえていた」んです。
私はいわゆる「自分の仕事」に邁進していると感じ全体がみえておらず、いわば一兵隊です。
しかし、そのおばちゃんは店の流れを把握し、大局が読め、そして私を「魚住君は本当によくできる」と褒めてうまく使い、私はいわゆる「自分の仕事」のみに注力しているのに対し、長年の愛社精神などもともなって時間を創り「草を抜く」。
そこに私が「おはようございます!」と出勤してきて何食わぬ顔で勘違いしてレールを敷かれたところを動いているだけなのに、それを自分の仕事と錯覚し「自分はこの店で役にたっているな」と思い込む。いえ、そう思っていた。
本当にその店に必要なのはそのおばちゃんであり、私のかわりはどこにでもいる。
今思えばそれが紛れもない事実です。
草を抜くというところからえらく派生してしまいましたが、今は上から全体をみるから草がきになるし、みえるんでしょう。
そして、今、店や事務所のまわりに日常的に草が生えているようなところは絶対に長続きしないという考えに至っています。
それは、目先のことばかりにとらわれて全体がみえていないと感じるから。
また、格好ばかりつけて内面がともなっていないと感じるから。
そして、愛社精神が無いんだなと感じるからです。
今もまだまだ完全に荒削りですが、若いときは本当に…。恥ずかしくなると同時に、こんなに至ってなかったのにいろんな人によくしてもらいました。
基本や内面、そして掃除などがきちんとできているところは長く続けていけると思っています。