「信じる者は救われる」誰もが知っている言葉でしょう。
私はこの言葉を自分なりに解釈し、普段から特に人を信じるように心掛けています。
本来の意味はキリスト教の聖書にあり、たしか「イエスを神の子と信ずるものは天国にいける」というニュアンスだったと思います。
イエス・キリストを神様のたった一人の神の子だと信じることが、唯一我々普通の人間の救われる道であると、キリストへの崇拝を説いているのが聖書でしょうし、それが宗教であります。
その意味も十分分かりますし、私は宗教は哲学ではないかと考えているので理解できるんですが、私はこの言葉を拠り所にこういうふうに考えるようにしています。
それは、信じる者というのは自分自身の事で、他者を信じようと努力する者は、例えそれが間違いであってもその心があるから相手が心を開いてくれるんであり、結局相手を信じることが自分自身をよい方向に導いてくれるのではないか、というものです。
相手は疑われていると感じたら絶対に心は開きませんし、気持ちは高揚しない。
高揚しないどころかテンションは下がります。
例え、ウソをついている相手に対しても疑念をもって臨むんではなく、信じているよと臨まれると相手は「信じてもらっているからウソはやめよう」と考えると思います。
そういうふうに相手を変えられるのは信じてあげる時だけで、それが結局は自分に返ってくるので救われるのだ、と解釈しています。
偽りに対して偽りで臨んでも絶対に解決はしません。
偽りに対して正攻法で、またきれいな心で疑わず、信じて接することが大切。人を信じない人と信じて接する人とではそのつみかさねから得られる徳がかわると思っています。
相手を信じること、会社でいうなら上司や同僚、そして部下を信じてあげること、これこそが相手を変える最良の手段ではないでしょうか。
信じてもらっているから裏切れないことって人生でたくさんありますもんね。