「仕事だからする」と言ってしているうちはまだまだです。
会社の掃除を仕事だからする。工事現場の安全確保を仕事だからする。
もっと言えば料理の仕込みを仕事だからする。病院で看護や介護を仕事だからする。役所で受付を仕事だからする。
などなどまだまだいっぱいあるんですが、仕事だからしているうちは素人です。
いや、素人というよりいつまでたってもただの駒であり、代わりのいる人材であると言えます。
もちろん生業(なりわい)にしているのでお金をいただくのでありますが、そのお金だけのためにしているのが「仕事だからするの仕事」であり、そもそもお金が目的で働いているのは悲しいことであります。
多くの人がそれに気づく。
私も20歳代後半で気づいた。お金は手段であり、目的ではないということを。
今、目の前に与えられていることは仕事だからするのではなく、自分自身に課せられた使命だからする。世に中に対して自らを代償として貢献できる類のものだからする。神様が与えてくれた毎日毎日の試練だからする。
そもそも人は人生の最後に死ぬという仕事をしなければならない。広義か狭義かで仕事の意味もいろいろあるが人生を仕事として考えたら仕事だからするというような発想にはならない。
生まれなさい、歳とりなさい、病気になりなさい、死になさい。すべて仕事であります。
その中には人を好きになったり、子供がうまれたり、いろんな幸せと感じるようなことも体験しますがそれも人生の中では仕事なのではと私は思う。
「仕事だからする」という発想をこういうふうに考えたら、天の大きな力に我々は生かされていると、毎日励めよと言われている気がするのです。
そして、サービスを受けるお客様も、食べるお客様も、看護や介護を受ける患者もそんな人にみてもらうのが一番嬉しく感じるんではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。