癌で死ぬということは、病気に勝てなかったからではないと思います。
テレビで出演者が「病気には勝てなかったんですね〜」という発言をよく口にしますが、考えてしゃべっているのか疑問に感じる。
人は必ず死にます。
その理由が病死か事故死か大往生か、はたまた自殺か他殺か災害か、理由は無数にあるにせよ人は必ず死にます。
大往生は勝ちで、病死は負け。長生きは勝ちで短命は負け。
そんなことがあるはずがありません。
老衰で死ぬるも病気で死ぬるも勝ちや負けという判断基準は違うだろうし、まして病気を治すということが病気に勝つということなのであろうかと私は思う。
治る病気、治らない病気いろいろあると思いますが、では「病気には勝てなかったんですね〜」というコメントの正当性をこの治る病気、治らない病気という観点から考えるとそもそもが言葉としての軸を持たない間違ったコメントであると思う。
何かの本で我々人間はこの世に「苦しむ」ために生まれてきたと書かれていました。
仏教的な視点ですね。
生まれた瞬間から苦しむための人生がスタートする。
歳をとる、病気を患う、そして死ぬ。苦しまない人はいない。
人生は前世での行いを裁判された結果、魂に対し人間界に行くように、そこで次の一生を全うするように、と決められたから開始されているらしい。共感します。
その上が極楽で、下が地獄、他にもあり、我々と同じくこの世で生活している犬や猫、馬や鳥や魚は前世での行いを裁判された結果、畜生界に転生した魂がやどっているということです。
私たちのこの世が極楽ではなく、まだまだ頑張らないといけないステージであるならば、いや、そうだからこそ次から次に生きていたら困難がやってくる。
神様は人に合わせて困難を用意していると思う。
多くの困難を乗り越えたものこそが次に受ける裁判でより高いステージの世界へといけるのではないかと思う。
だから多くの困難を逃げずに受け止め、打開することが大切で、せっかく挑戦しなさいと与えていただいた困難という機会から逃げているといつまでたっても成長しないし、魂は磨かれないのだと私は思う。
しかし、この世へはそもそもが苦しむために生まれてきたのであり、次から次にやってくる困難には打ち勝ち、挑戦することができても、病気を患うということは人生の大きな大きなテーマであるからそれをそもそも克服することが「勝つ」ということではないと私は思います。
治る病気は治りますし、治らない病気は治らない。もちろん治そうと困難に立ち向かわないといけません。それが人生ですから。
しかし、病気に勝つというのは「その病気を受け止める」ということではないでしょうか。
今の私の心の成長具合であれば、いきなり今日「あなたは末期の癌です」と言われたら目の前が真っ暗になり、体が震えるでしょうし、泣きますし、絶望すると思います。
しかし、多くの人がその絶望の淵から活路を見いだそうと想い、悩み、努力している。怖いにきまっています。自分なら夜になると涙が出てくるような気がするから。だから、今から心を鍛えたいと思っているのです。
加齢も病気もそして死ぬことも避けては通れない人生の道。
そうであるからこそ、私はそこに勝ち負けの概念の存在は違うと思う。
そういったことを受け止めたときこそが「勝った瞬間」であり、死ぬときがきたらまだ死にたくないと思わず、受け止めて死にたい。
受け止めて死んでいく人たちに対し「病気に勝てなかった」はあまりにもお粗末、受け止めて死んでいくことこそが勝ったということであると思うのです。