久しぶりに映画を観ました。
「エヴェレスト 神々の山嶺」です。岡田准一さんと阿部寛さんの出ている山を題材とした映画です。
いくつか少し脚本に疑問を感じたところはあったのですが(すみません、私の読解力不足かも)、それにしても標高8,848メートル、氷点下50℃、風速50メートルの世界ってあんなにも過酷なものなのかと感じました。
岡田准一さん演じる深町というカメラマン、そして阿部寛さんの登山家羽生丈二の人間模様に「人生とは」を感じました。
死ぬかもしれないようなことに命をかけて挑めるって凄いことです。ゲームではなく、落ちたら終わりの断崖絶壁の90度の傾斜の山に登るってどういうことなのでしょう。どういう想いでそれをやろうとするのでしょう。
言わば登らなくても十二分に生きていけますし、登ることで命がなくなるかもしれない。
リスクとリターンは我々の世界では釣り合っているのが常ではありますが、この「山」というものはどうなんだろうと考えた。
多分、やっている人にしかわからないことがあるのだろう。成し遂げた時の充実感、いやそんなものでは語れないくらいの命と釣り合うような何かがあるのかもしれません。
阿部寛さんの羽生丈二が命をかけてのエヴェレストの難易度の高い南西からの登山、それを単独で挑戦するとき、岡田准一さんのカメラマン深町が「一緒に行っていいか」と待ち伏せていたベースキャンプで尋ねたとき、羽生は言いました「俺を撮れ、俺が逃げ出さないように」
この言葉に、挑戦するときどんな人でもそういう気持ちが介在するものだと、それに打ち勝つ人が挑戦する人なのだと思いました。
映画の最後で羽生が書いたメモがありました。
目も開けらないくらいの暴風雨の中、断崖絶壁でいつ雪崩が来るかわからないような山の中、夜は真っ暗、座って意識を保ったまま寝ないといけないような極限の中書いたもの。
少しでも荷物を軽量化するために、手のひら大のメモ帳を半分のページ数に破り、あんなに軽い1本の鉛筆をさらに半分に折って持って行くプロ根性の文房具で書いたもの。
それには、足が使えなくなったら手を使え、手が使えなくなったら口を使え、口が使えなくなったら目で睨みながら歩け、それもできなくなったら心で歩け。と書かれていました。
言葉の正確な表現を忘れてしまい少し違いますが、そういうことが書かれていました。あきらめるな、決して諦めるなと。自分で鼓舞しながら進んだんです。
それはエンディングの岡田准一さんの深町でも表現されていた。
実際の現場で撮影されているのでその臨場感たるや半端ではなかったです。良い映画でしたよ。