評価。他人、他者からの評価。
それを意識しない面もあれば意識する面もある。
例えばこのブログか。他人がどう思おうが、感じようが、また意見されようが、そこを意識したことはない。
いや、無いと言えば違うな。最初の数年は意識した。
しかし、毎日書いて、それが14年にもなると、書いていることで私の人間性も現れているだろうし、読み手によって受け取り方はさまざまであるはずで、いろんなことを感じていただければ、嬉しいなという想いが一番にきている。
また、自分の思想信条についてはあまり他人の目は気にならない。
いろんな考えがあったら良いと思っているし、私は自分の考え方が筋が通っていて自分で好き。
1人で行動することに臆病ではないし、多数決とか、みんながやっているとか、同調圧力とか、そういうの嫌い。
1対99でも自分の意見は曲げない自信がある。
そんな内面的なところは、他人や他者からの評価を気にしない。
しかし、評価を気にするところもある。
そう、仕事だ。
私はアーティストではないから、他人や他者からの評価でのみ、私の商売は成り立っている。
生きていこうとするその生業において、他人の評価は全てであると考えている。
若い頃は自分がきちんとした仕事を提供しているのに、なぜお客様は認めてくれないのだとか、伝わらないなぁと思ったことも多々ある。
しかし、今はそんなものは全部捨てた。
そう、お客様の評価のみを自分の結果として考えるようになったし、それが支持であり、私の力だとも思うようになった。
お客様から工事のリピートがいただける。
これって、前回の工事が満足いくものだったからであり、そうでなければ他の会社に発注する。
どちらでもなければ私と他社で相見積りをするんだろうし、その他者の評価の上に我々は存在している。
どうしたら評価をいただけるかはその依頼者によって全て異なる。依頼者が求めていることを考える。そこが全て。
チラシでどれだけ反響が来るかもそうだ。自分のつくりたい広告もあるが「どうしたらもっと」という思考は評価を得たいがためのものでしかない。
新しい事業など、その評価が得られないということは即赤字に繋がるし、廃業は必至となる。なので生死に関わるといっても過言ではないのが評価である。
世の中に対して自分の力で生きていくということは、その評価という風や雨、また暖かな陽の光を直に浴びるということだと私は解釈している。
組織内においては傘や外壁が守ってくれているが、どれだけ小さな組織、個人でも、商売をするということはそういうことである。
しかし、評価を恐れすぎてもいけない。自らのやっていることが後に理解されることもあるし、継続が評価に結びつくこともあるだろう。
そんなバランス感覚を持ちながら、仕事についてはやっていきたいし、やっていると思っている。
評価。
他人からの評価。他者からの評価。
仕事においては、それは継続と成長出来ているかが応えである。
それ以上でもないし、以下でもない。
また永遠でもないし、絶対もない。
ふわ〜っとした安定のない世界で、ふわ〜っとした評価という基礎の上に商売は成り立つ。
人の目ばかり気にするということではない。自分は自分も良いだろう。
しかし、生きていこうとするその生業において、また、人からお金をいただくっていうことはそういうことだと思っている。
また朝から書いていたら熱くなり25分間も使い書いてしまった。
今日休みであるはずの山﨑が、6時代に出社して来て何やら仕事をしている。それだけやって「大阪に星野源のコンサートに行く」らしい。
星野源を山﨑は評価しているからでしょう。
今日もやりきります。