どこの会社でも同じことが言われていると思いますが「正しい報告」欲しいですよね。
組織というものはその報告から判断を下します。
その報告の精度で、判断が変わるわけですから、とにかく結果を出していくための最重要は「正しい報告」であります。
よくあることにこのような報告があります。
「面倒なのかはしょった報告。また、報告があがらない」「屈折した報告」そして「報告してくる人間が、判断材料となる要因を勝手に省略した、間違った結果のみ報告」
まず「面倒なのかはしょった報告。また、報告があがらあい」について
これはなぜでしょう。
よくあることに、こんなことまで報告しないでいいだろうという間違った判断です。
これは、その判断に迷うとき、こう考えるといいでしょう。「自分で責任がとれることかどうか」
逆に責任がとれないのであれば全て報告は必要ですね。義務です。そこしか判断基準はありません。
「屈折した報告」これもありますよね。
報告をしてくる人の性質、性格、主観が伴い、事実にプラスやマイナスが付け加えられ、純度が下がった報告。
一番の理由は保身です。
その報告をあげてきた人間の保身。自分を悪く見せたくないというのが前面に出るのか、肝心なところが屈折されており、判断する側にとっては頭の中に「?」が報告を受けた瞬間にいっぱい生まれるやつ。
保身を考えた報告をする人は結局は一番保身されない現実に自分を誘います。本当に信頼できる人間は自分の間違いを認めてすぐに報告してくる人。その時点ならまだまだリカバーできることが多いですよね。
最後に「報告してくる人間が、判断材料となる要因を勝手に省略した、間違った結果のみ報告」です。
判断をする人間は報告全般の「過程」から判断をするのに、その判断材料をカットして、結果のみ報告してくるもの。
これでは全然判断などできません。
また、判断というものは、結果報告から出来るものだけではなく、その大半は過程を聞き、その内容から、どのようにこの至ってしまった結果に対して対応していこうかというもので、肝心要は結果ではなく過程です。
そこを勝手に省略された報告がいかに多いことかと思うのです。
まとめられないから全内容を報告くれる人間がありがたい。
間違えたまとめで、文章5行の報告より、全内容を20行で報告くれた方がよほどありがたいのだ。
「正しい報告」をくれる人間は宝です。
彼や彼女がいることでトップは、また判断を下す人は裸の王様になりません。
また、直接見聞きしていない物事に対して、自分なりにベストと思える判断ができるわけですから、責任をとる者としても本望でしょう。
それで負けたら腹を切るのは己ですから。
従業員などは「正しい報告」こそが会社などの自分が帰属している組織を守る唯一の方法です。
従業員はいざという時は直接戦う必要はありません。言い換えたら責任をとる必要もありません。
しかし、「正しい報告」をあげるようにしておかないと、トップや判断を下す人はベストなそれが出来ず、結局は会社や組織にとってマイナスになり返ってきます。
当然そうなるとそこで働く従業員にとってプラスの要因になることは皆無でしょう。
「正しい報告」が欲しい。どこの会社の社長も重役もそう言われます。もちろん私も毎日そう思って生きております。
「正しい報告」は生命線。
報告が要るか要らないか、迷ったら責任がとれるかを考えるべし。
そして、それが要る要らないはトップが決めることで、選択肢を与えるのも報告をする人の義務。
「そんなもの報告は要らない」と言われたらそれでいいじゃん。
その報告を受けて間違った判断を下すことは絶対にないから。