まだ会社にいます。現在20時45分。
昨今は従業員を早く帰らせないといけないからもう誰も事務所にはいない。
いや、厳密に言うとみんな帰ったが、原は商談に行っている。後ほど満面の笑みで帰ってくるのが眼に浮かぶ。
オレンジナイトCLUB通信をはじめとしたDMが、今日、明日でお客様や関係各位のところに届くはずだ。
そうだ「私の履歴書」をちょっと加筆しようと思う。
「入社して半年も経たない間にトップセールスマンになった」と書いたがこれは事実だ。
営業マンは全部門でピークで100人くらいいたが、入社半年、1年からずっとトップだった。
でも入社して3ヶ月目まではこんな自分だった。
コテコテの営業マンばかりが集う事務所に入社時面食らった。
今まで生きてきた自分の人生のまわりにいた人たちが、なんとノーマルであったかと思うくらい、個性的なおっさんばかりだった。
そしてみんな飛び込み営業で日焼けして、顔は真っ黒だったことにも最初戸惑った記憶がある。
初日から何も教育を受けていない状態で飛び込み営業が開始した。車から降ろされただけだ。
忘れもしない場所は姫路市の阿保。
現在はキレイな街並みに整備されていますが、当時、まわる家々で言われたこと。「こんなとこまわっても区画整理やで!」。
なんでこんな所を思いながら、それでも意味も分からず歩き続けた。トボトボと。
辞めようと思ったこと。ないはずが無い。
入社1ヶ月目くらいに、1週間先に入社したKさんと辞める相談をしに、仕事帰りに姫路市土山の居酒屋に行った。今でもある。
そこでKさんと、明日Kさんが先に本部長に辞めますと言い、その後で、私が同じように言いに行くというシナリオができた。
酒を酌み交わした。
翌決行の日の朝、いつものように本部長が階段を上がってくる音がする。歩く音と携帯の着信音で分かるのだ。
席に着くなり、Kさんは話がありますと駆け寄り、神妙な面持ちで何か言っている。5メートル向こうなので声は聞こえない。
そして、しばらく話し、そそくさと荷物をまとめて帰っていく。
入り口のドアを開けるとき、チラっと私の方を見て目があったのが最後だ。
私はそのときの本部長の表情が怖く、みるみる不機嫌になり、タバコを連続で吸っているのが恐ろしく、話がありますなんて言い出せなかった。
その日はもちろん、翌日も、その翌日も。
それなのに、家に帰ってから仕事の愚痴や不満を口にする自分がいた。毎日毎日。
今思えば最低だったなぁ。
入社して3ヶ月目くらいのある日。なんのタイミングかは忘れました。
でも決意した。「毎日毎日仕事の文句ばかり言うのはやめよう」と。
このままではいかんと思ったのでしょう。
そしてこれははっきり覚えています。「1年間どっぷりと、肩まで営業の風呂につかろう。思いっきりやってみよう。それでダメなら辞めたらいい。でもそれまでは俺は一切不平不満は言わない」と宣言した。
これも当時付き合っていたと「私の履歴書」で書いた彼女に言った言葉だ。
後日談ではあるが、娘の小学校の入学式で、2つ横の席に彼女が座っていた。彼女も子供さんの入学式だった。
コロナもあったが、ほぼ学校行事に行っていないのでそれ以来顔は見ていない。
そんな宣言をしてすぐその週に、まず加古川市野口町長砂のM様邸で外壁塗装を受注した。
そして、また翌週にたつの市揖西町中垣内でまた外壁塗装を受注した。
忘れもしない、その週の日曜日、午前10時に姫路市白浜町宇佐崎北のT様邸で屋根と壁の塗装を300万円で受注し、同じ日の13時からの商談では、姫路市御立北のM様邸で、また屋根と壁の塗装を受注した。契約してくれた理由は「私の息子の名前も俊介だから、何かのご縁だね」だった。
口から出る言葉は言霊だと現在は思っている。
あの宣言をし、マイナス発言を封印して、どっぷり営業のお湯につかった自分を神様が見てくれ、それならばと良い風を吹かせてくれたのだろう。
「リフォームは人生のイベントである」と私は人にといている。だからこそ、心の中で辞めようかななんて思っている人間に、神様は契約を獲らせなかったのだ。
そんな人間を担当者にされたお客様が不幸になるから。
若い人にはこう思う。どんな仕事でも、一回どっぷりはまってみなと。じゃ、神様が助けてくれるかもしれないよと。自分がそうだったから。
合う合わないは、どっぷりはまらないと分からないものだ。
あのとき、U本部長の顔が怖かったから言い出せなかった。でもそれで良かった。あのとき辞めていたら今は無いもんな。
原が満面の笑みで事務所に帰ってきた。ひたすら話をし、帰って行った。