2013年09月09日

引退の美学

月曜日の朝、天気も最高!夏は大好きですが、汗をかかないって気持ちいいですね。

この土日はオリンピックなどのニュースで持ち切りでしたね。

僕は現在36歳、おそらく人生最初で最後の母国での開催だろうと思われますのでぜひ見に行きたいですし、7年のうちに成長し何か会社で貢献したいなと思います。とにかく関係者の方々にはありがとうございますと思います。


もう一つのニュース、これに関してですが宮崎駿監督の引退。寂しいですが、覚悟の上なんでしょうね。

僕も必ずくる「老い」いずれいろんなことで体感すると思われます。

現在でも、昔みたいに走り回ったり、飛び跳ねたりはできなくなりました。

息は切れるし、ひざがカクンっとなります。

これも「老い」の一つなんだと思いますが、年を重ねたときに自分自身で自分の力がピークを過ぎたことを感じ、悟り、理解し、受け止めたときってどういう心境なんでしょうか。

昔は出来ていた事ができなくなるって、まして走るとか朝まで飲むとかではなく、自分が生業としていることにおける「老い」の認識ってどういう感じなんでしょう。

営業していて、昔はまとめられた商談がまとめれなくなるんでしょうか?

こなしていた現場がうまくまわせなくなり、クレームが乱発しだすんでしょうか?

それとも、ほんのささいなことができなくなったっていうことがでてくるんでしょうか?

年をとった方の意見はまた違うかもわかりませんし、現在まだ30数年しか生きていない僕の現段階の考えですが、それを実感したときって寂しいだろうな、寂しく感じるんだろうなと思います。

そして、いやいやそんなはずは!としばらくの、いや少しばかりの時間の末、葛藤の末受け止めるんだろうな…僕は…と想像します。


引退の美学は人それぞれだと思います。

僕は宮崎監督の引退会見っていいなと感じましたし、ご本人にしかわからない辛さ、自分がしたくてされているんでしょうがその中でのいろいろなものを感じることができ、そしてできていたことができなくなるってどんなことなんだろうと考えさせてもらえました。


今、与えられた状況というのは自分だけの力で形成しているものではありません。

きっと神様から「おまえが生きていくなかで、こういう状況のもとで日々をまっとうしなさい」と与えられたいわばこれが人生における試練です。

僕も監督みたいにボロボロになるまで、余力を残さないところまでやりきりたいなと感じた先週の週末でした。


posted by orangeknight at 10:42
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