2022年01月09日

昔の地図を見ながら想う

昔の地図を見るアプリが好きで、たまに見ています。

 
1900年ごろは、例えば姫路なら姫路城のまわりにたくさん家や店があり、郊外に行くと荒地と田畑がずーっと広がり、集落があり、その村を抜けるとまた荒地と田畑というのを繰り返す。

 
大河ドラマや時代劇の、あの移動のシーンのようなものです。山道や田畑をテクテクテクと歩いていく。

 
現在の住所にある地名。あれはほとんどが昔から使われており、オレンジナイトの姫路本店がある飾磨区中島なら、会社から少し北、今のJAのあたりの集落が中島村。

そこからまたテクテクテクと北に歩いていくと下野田村がある。また北にしばらく歩くと中野田村。さらに北には上野田村があり、そこはもう少しで姫路バイパスに到着するあたりであり、現在も古いおうちが並ぶ。駅南大路など全部荒地だ。

 
 
阿成渡場は現在のあの川沿いの小さな集落。周りは田畑で阿成植木村は早川神社のまわりだけ。あとは市川インターまで何もない。遠くには先程の中野田村と上野田村が見えるのみ。

 
 
人口が少なく、生活様式が現在とは異なったからだと思いますが、いずれまたそのように変化していかないと人は生きていくのが困難となる。

 
100年後、人口が今の3分の2や半分強となったとき、存続できない都道府県が出る。そして、必ず生き残れない市町村が生まれるだろうし、国や県は人を集めようとする。

 
両隣も向かいも裏もが空き家という町では自治会の機能が果たせない。100件で維持していた機能を20件では不可能となる。

 
バブルの頃に郊外に人口的に造られた街は西区や三田市くらいになれば生き残るが、夢前町レベルの点在する集落はあちこちでゴーストタウンとなると思う。

姫路では白鳥台や緑台から夢前町の〇〇タウンと名付けられた集落はやがてここ10年や20年で解体ラッシュとなり、田畑に戻る。いや、昔ではないからまた別の、少し前でいうところの太陽光パネルの設置場所みたいな新たな利用方法が生まれる。

 
100年後だから関係ないとは思えない。現在もそこに世の中は向かっているから、それを予想して生きる必要があるし、より住みやすい世の中を、子供の世代に残してあげたいと切に思うしやらないといけない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 11:34
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