2012年10月06日

殺すということの意味

ここ最近、親が子を殺すという事件が相次いでいます。誠に痛ましいですし、子どもができてから小さい子が被害に遭ったということを耳にするととても感情が入ってしまいます。

考えられませんし、怖かったやろうな、痛かったやろうな、泣いてやめてって言うたんやろなぁと考えると涙が出てきます。

さまざまな事情があるにせよ、人を殺すなどということは戦時か刑罰以外では絶対にあってはならないことです。

僕は思うんですが、「殺す」ということの重大性をきちんと理解していない方が多いんではないかと思います。

また、そういうことの教育をきちんとしてこなかった戦後の教育に大きく原因があると思います。

一言でいうと「自由」を勘違いさせた教育、「我慢」とか「忍耐」とかを無視した教育、やったもん勝ちみたいな風潮は日本という国をおとしめた。

学校や家庭や会社はもっと道徳というものに力をいれないと、どんどんこのような事件が起こりますし、恐ろしい世の中になってしまいます。

自分さえよかったらええわという考えかたは、僕の知りうる限り、今の80歳以上の方からは感じません。

相手を想いやる心、そして甘いと優しいを勘違いしている人も多々いますが、真の優しさを理解しないといけませんし、僕自身もそれをもたないといけないと思います。

テレビを観ていると、バラエティ番組なんかで頻繁に相手に対して笑いながら「殺すぞ」と言っています。

毎回、一種の嫌悪感を覚えますし、ボキャブラリーの少なさと言いますか、殺すという意味をどう理解しているのかと感じます。

僕は人に対して冗談でも、怒ったときも今まで一度も「殺すぞ」と言ったことはありません。

子どもの頃、母に「人に対して殺すなんか言ったらあかんよ」と言われたのが残っています。

生きたくても生きれない人もたくさんいます。

健康でない人もたくさんいます。

当たり前を当たり前と思わずに、感謝の念をもって生きたいですし、僕が母に教えられたように、子どもにも教えたいですし、仕事を通じ命の重みをもっと真剣に僕は語っていきたいです。


posted by orangeknight at 09:35
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