だんじり祭りで死亡事故が2件続いた件、やたらとネットであれらの祭りに批判が殺到している。
そして、いつもの如く「責任の所在」みたいな話に論点がいく。
私は、部外者が口を出すのはおかしいと思うという考え。
いや、言いたいことがあるのなら、顔と名前を出してならいいと思う。という考えでもある。
また、ネットで事故の瞬間の動画を拡散している人には、自分の家族がそんな事故に遭ったら、拡散されて嬉しいか?。人の気持ちがわからない未熟な人が多い。とも思っている。
正義を振りかざしての批判なら、それは地元の人には届かない。いや、届かないというよりも迷惑である。
なぜならあの地元の方々にも正義があるから。
それを数の力や世論、風潮、現代の世相で一掃しようと動くのは大きな間違いである。
激しい祭りをする地域は、みんな安全にはすごい気を配っている。
運営側となれば尚更である。
しかし、それでも、より危険を冒したいみたいな人も登場するのが祭りである。
それが地元の人だけでなく、よそからもやってくる。それが祭りである。
安全を意識しているが、非日常と紙一重の景色を求めて行動する。それが祭りである。
安心安全、命が何より大切。そんなこと分かっているが、でも、それよりもその瞬間、振り切れるものが生まれるのが祭りである。
私、昨日こんな写真をあげましたよね。
このまま左右(写真の右側と、2階から覗いている人がいる方向)どちらかの力が弱まれば、その方向に屋台は傾いて落ちています。
昨日、この瞬間、この写真を撮っている私は、練り子がこちらに来ないよう背中を右手で押しています。
私の横には数十名の人がいました。その後ろは人の家があり、壁です。
仮に落としたら10人くらいは死んでもおかしくないシーンです。
そんな一瞬なので、こんな写真になる。
そこでリスクをとる必要はないのかもしれませんが、でもそれが祭りなのです。
安全を配慮しない祭りなどないでしょう。
有名で、規模が大きい祭りであればあるほど、それはうるさく言われます。
でも、必ず事故は一定の割合で起きる。
危険なことをしているのですから、机でパソコンを叩いているのとは、格段に異なる高い割合で起こります。
それを、机でパソコンしか叩かない人が、自分の世界の常識で批判をするのはちょっと違う気が私はします。
なんでもかんでも責任をとらせ、処分する世の中は萎縮の連鎖を生み、おもしろくない社会になります。
コロナで経験したでしょう。おもしろくない社会って、人は生きるのがしんどくなるっていうことを。
そう、楽しく健全に生きていくためには、年に一度の少々危険な祭りもいるのです。
それが人間社会なのですから。
命が一番なんてことばかり考える社会になっていくと、結局は、めぐりめぐって人は命を削ってしまう。
そういうものではないでしょうか。
部外者が、その場の浅はかな想いだけで、軽々しくあれをネットで批判するのは間違っている。
しっかりした考えがあり、その上で批判したいのであれば、堂々と現地に行き、それを主張すべきである。
それはそれで、地元の人も意見として尊重すべきではないかと。
祭りってそういうものでしょう。
私、背中を30センチ切ったことあります。10センチもあります。痛かったぁ。
別で、屋台ではなく神輿の年のとき、10メートル飛ばされ、左太ももがえぐれ、血が止まらず、翌日は汁が止まらないから整形外科に行くと、歯ブラシで太ももに入った砂を除去されたことがあります。麻酔なし。なんで昨日風呂に入ったと医者に怒られ。
傷がひどくなると、人の身体はしばらく汁がでるんです。ガーゼを押し当ててズボンを履いていても、ズボンが3時間ぐらいで濡れるんです。
他にも、数センチ横に、電線にひっかかったぎぼし(屋台の一番上の飾り)が落ちてきたこともあります。
かんぬき(本棒と本棒を横に繋いでいる担ぐための木)がえぐれましたから。
頭に当たっていたら割れています。周囲みんなで騒然としました。肩には当たりました。痛かった。
他にも、真横にいた子が屋台の土台で足の指を潰したのもみています。グシャって音がしました。
でもやるんですよ。今年もって。
やりたくなるんです。
私が担ぐのをやめたのは、そんなアドレナリンが昔に比べて減ったから。
危険だからではない。危ない想いをしたからでは全然ないです。
正直、一瞬なら今もやりたいですから。
それが祭りってものでしょう。