2012年08月09日

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時~♪

ここ数日、会社の車で「般若心経」を聞いています。また変わった奴やなぁと思われると思いますが、なかなかいいものです。

「般若心経」のきっかけは、少し前に読んだ本で、「般若心経」はたった262文字の中に、「悟りに至る偉大な智慧(ちえ、仏教用語)の手立てのエッセンス」が凝縮されている、と書かれていたからです。

そんな素晴らしいものならぜひきちんと聞いてみよう、と思いCDを買いました。どうせなら丸暗記したいので、英会話のコマーシャルでも言っているように「聞き流したら覚えられる」というのを信じ聞き流す事にしました。

それまで、「般若心経」の事は般若波羅蜜多時という超有名な一節のみ、ご多分に漏れず認識していました。その程度のレベルでした。

実際、聞いてみるとさすがはお経のなかの大ベストセラーです、なんの抵抗もなく入ります。良いと思い、素直な気持ちで聞いているからでしょうが、落ち着くんです。

そこで、何を唱えているのか知りたくなったので、簡単な訳の本を買いました。

まず、そもそも「般若心経」の正式名称は「摩訶般若波羅蜜多心経」というらしく、インドの言葉で、後に漢字をあてはめたらしいです。

「摩訶」とはインド関連でよく使われる、マハラジャとかマハー〇〇からきているらしく、大きなとか偉大な、という意味らしいです。

「般若」は僕は鬼のことだと思っていましたが、全く関係なく、パンニャーという言葉からきていて、パンニャーとは智慧と訳されるとの事です。

この智慧は、知恵があるとかいう意味ではなく、よく宗教で使われる、実践によって至った真理の事らしいです。

ここまできたら全部いきますが、「波羅蜜多」はパーラミタという言葉で、かの岸に至る手立てと訳され、かの岸とは仏教の最終目的である「悟り」のことだと言います。

なんかすごくないですか、僕は感動しましたし、はてしなく広がる世界観を感じました。

僕は以前は宗教というと、よくあるカルト教団や新興宗教の影響であまり良いイメージはもっていませんでした。

しかし、大なり小なり我々の心には目に見えない力にすがる、というと言葉が違うかもわかりませんが、信じる気持ちはあると思います。

また、そういう存在がなければ強い精神力というものを持続しがたいなと感じるようになってきました。

僕は特に何の宗教にも属していませんが、宗教観という概念は非常に偉大なものであると感じています。

僕は今回、ひょんな事から「般若心経」と出会いましたが、お経を日々唱えて日常生活の原動力にするという行為は世界中で実践されていますし、極めて健全な行為であると感じています。

従来のような宗教というものをひとくくりにして、何か蔑視するんではなく、良いものは生活に取り入れ、心豊かな大人になるべきと思いました。


スピード○ーニングの宣伝が本当なら、僕が「般若心経」を口ずさむ日もそう遠くないでしょう(笑)。


posted by orangeknight at 08:59
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