2025年07月20日

投票率が上がっていくということは、必ずしも良いことではないのかな

参院選の結果をテレビで観ております。

 
結果は大方の予想通りか。

 
私は今日投票しました。中学生の息子に、選挙に行くという姿を見せるため、敢えて一緒に行きました。

 
子供には選挙には行かないといかんと小さいときから言っています。

 
そう、政治には関心を持ってほしい。

 
 
そんなふうに思うのですが、近頃自分の頭の中でこんなことを自問自答しております。

 
政治の話って、もっと日頃から日本人はしていくべきよな。酒飲みながら、会社で、そして商談中のお客様とまた取引先と。

 
昔の人はしていただろうし、外国はもっとしている。なんで日本人はしなくなった。

 
分からないって言う人は多いけど、それって、好きなようにしてと同じこと。

 
SNSが選挙に影響を与えていると言われる。与えてはいる。与えてないとは言えないだろう。

 
政治家を応援するという事と、アイドルを応援することは同じではない。

推しは推しだが、時には進言し、諫言するのが政治の推しである。

 
いろんな考えの人がいたらいい。会社や組織では困るが、民主主義を理念とする国では、いろんな考えの人がいるからいいのだ。

 
異なる意見を誹謗中傷するのは本当に幼稚である。

 
 
選挙の投票率。

 
これって、少し前まではもっと上がるべきだと考えていた。

 
しかし、いろいろ思考していくなかで、必要以上に高くなるのは危険かなと、現在は考えるようになった。

 
日本人は「みんなと同じ」とか「全体のながれ」を重視する。

 
そう、今から80年前に終わったあの戦争のときのように、大きなうねりをつくりやすい国民性。

 
コロナのときにも如実に顕在化した。何も変わっていない。

 
昨今SNS選挙と言われる。これ、少し前までは政治や選挙に関心のない大衆ゾーンにも訴求する良いツールだと感じていた。

 
しかし、この政治や選挙に関心のないゾーンをSNSで煽動するって、うまく煽動していくながれは、先の大戦の軍部に未来を夢みたあのときの大衆を思わせる。

 
確かに、政治には国民はみんな関心を持った方がいいが、日頃から真剣に考えている一定数の国民だけが、選挙に投票をした方が国は上手くいくのではないか。

 
極論のようだが、ずっと考えている人と、何も考えていない人が同じ一票ってどうだろう。

 
 
民主主義は選挙の結果が全てである。

 
しかし、それは全てであるが、正しいかどうかは別である。

 
先ほどの大東亜戦争に至る日本でもそうですし、その最たるものは、ナチスヒトラーを生み出したドイツである。あれは完全に投票で大衆に選ばれた結果なのだから。

 
となると、ヒトラーが成し得たように、大衆を動かすテクニカルを高く持つ政党、政治家が投票率が上がれば勝っていくのではないのだろうか。

 
だからこそ、投票率はそこそこであることも重要なのかなと考えるに至っている。

 
言葉を選ばずに言うと、普段何も考えていない人が、その景色に影響され、そこから政治に目覚めるのならまだしも、その瞬間だけ支持者になる、ひいては大きなうねりを形成するのは恐ろしい。

 
 
ベストはこうだ。

 
普段からもっともっと我々国民一兵卒は政治の話をする。

 
煽動されないよう自らの考えをしっかり整理する。学ぶ。

 
自分自身で考える。

 
そんな側にいないといけない。

 
 
今回の参院選では立花さんに入れたし、国民民主党と丁寧に書いた。

 
真後ろにいた息子に、見えるなら見てもいいからと思いゆっくり鉛筆を動かし、紙は折らずに開いたまま銀の箱に投じた。

 
自らの票が生きようが死のうが、その1票に想いを託し、考えがしっかりあることが大切である。

 
それが子供たちの時代を、今よりちょっと良いものにしていくんではないでしょうか。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 22:22
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