2014年05月15日

ややこしいコミュニケーション

ややこしいコミュニケーションは非常に重要です。

ややこしいコミュニケーションとは連絡や報告、ルールなどでは定義付けできないような心配りのあるコミュニケーション。

そうですね、例えば工事現場において追加工事の受注をいただいた、前回先輩に同行してもらい積算、今日は先輩が一緒にこれないので後輩一人でお客様の所に伺い追加工事を受注した。

このとき、上司である店長には受注の即時報告義務が発生するが、その上司に対してはルール上無いようなときに直ちに「先輩、先日一緒に行ってもらった〇〇様邸、追加工事を受注することができました」というのがここで言うややこしいコミュニケーション。

そんな事礼儀でしょと多くの方が感じますが、実際それをどれくらいの方が「あたりまえ」「気持ち」として実行しているかとなると絶対的多数ではないと思います。

毎日毎日お昼になると私に「お昼コンビ二に行きますが、何か買ってきましょうか?」と聞いてくれるうちの「みんなささえる課」の主任の沼田を筆頭とした事務の子たち。

私はほぼ毎日自分で買ってきており、頼むのはだいたい20〜30回に一度だと思います。

しかし、毎日声をかけてくれる。「もういっかな」とも思いがちではありますが、そういうのがややこしいコミュニケーション、私はとても気持ちが良いし、感謝しています。気持ちは嬉しいのです。

現在は昔に比べ人と人との繋がりが簡素化され、何でも「その程度でよい」というような風潮があるように感じます。

ちなみに「ややこしい」というのは広辞苑では「こみいっている。複雑でわずらわしい。」と記載されています。

インターネットの普及以前の道徳の教育が疎かなのでこういうふうになっていると私は感じます。

ややこしいコミュニケーションは人と人との繋がりを非常に円滑化します。

ちょっとした気遣いの言葉であったり連絡、メモ、メール。

何でも簡単に、だいたいで、これくらいとかで物事を判断していると、いつしかそれがスタンダードになってしまいます。

それがスタンダードになってしまうとそのことの重要性に気付かなくなってしまい、それが希薄な人間関係につながる。

おせっかいくらいなプライベートへの介入もあってもよいと思いますし、もっと当たり障りのある関係もあってもよいと思います。


今日は「ややこしいコミュニケーション」という言葉で表現しましたが、それがややこしいと感じなくなったときが本当のコミュニケーションではないでしょうか。














posted by orangeknight at 11:20
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