2014年10月27日

自らの格好は心構えと心の持ちよう

会社に出社する時はきちんとした格好でくるのは当然である、と私は考えています。

どういう事かと言いますと、朝普通に出社しますが、その時に会社の入口を開けるときにきちんとした格好ができないということは公私混同、また自分に甘い、そして会社を神聖な場所であり、今日一日働かせていただけることに対する感謝の念が足らないということだと思います。

かくいう私は昔、会社に一番に出社するのだからネクタイを手に持って、制服の上着は前のファスナーをしめずに来ていたこともありました。

誰もみていないし、自分の会社であるからよいであろうという甘え、そして自分が「働きにきている」という奢りがあったのだと思います。

しかし、今は考えが変わり、人が見ていなくても神様とオレンジナイトという会社はみている、自分の会社だから何をしてもいいというのは通用しないし、自分は今は「働かせていただいている」と心から思っています。

仕事がないと、会社がないと、私たちはやっていけません。

従業員みんながいるから会社が形成されていますし、世の中に対し働かせていただいているという価値観を持って毎日仕事をさせてもらっています。

朝、家を出るときにきちんとした身なりをし、毎日が戦いでもありますから勝てる状態を作ってから赴くというのも当然でありますし、家を出た瞬間に「よしっ!」となるためには格好をきちんとできていることは最低条件だと考えます。

休みの日に少し出社するとき、これは私服でも全然オッケーだと思います。

ジャージでもジーパンでも。

とにかくきちんとしていれば。ジャージを完全にきちんと着ればいいですし、セーターを着こなせばよい。

ただ、会社とその日出社している人間に無礼な格好でなければ良いと私は思います。


何でもかんでも「だいたいで」「テキトウに」となっている風潮がありますが、パリッと、そしてピシッとした格好をしなければいけない時にできる人間にならないといけないと私は思います。

メリハリつけて、そして服装を礼儀の一つとして考える。人様とお会いするときも然りですね。

なぜ、これを今日考え直したかと言いますと、今日うちの顧問弁護士の先生と約束をしていて私から事務所に伺ったんです。

入口で先生とたまたま出会い、先生は「あっ、しばらくお待ち下さいね!」と言って背広の上着を着て再度打合せ室に来られました。

気心も知れていますし、今日は暑かったからカッターシャツでもよかったのにわざわざそうされていました。

私は「見習わないと」と感じましたし、服装や身なりというのは礼儀であり、大切であるとなと改めて考えさせていただけました。











posted by orangeknight at 16:30
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