社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2020年11月17日

困難に直面したとき

人の真価は困難に直面したときに問われる。

 
 
嫌なことが起こったときに。

 
思い通りにいかないときに。

 
別れが生じたときに。

 
お金が回らなくなったときに。

 
大きな病気になったときに。

 
大切な人が亡くなったときに。

 
裏ぎられたときに。

 
他にもいっぱいある。人生の困難は。

 
 
そんなときに普段に思考し、発言していることと同じことが出来るかどうか。それが今のあなたの本当のステージ。

 
当然この「あなた」には私も入っている。いつも自分にそう言っている。

「お前はそんなときにお前がブログで書いている通りにするんだ」と。

 
 
怒りは生じてもそれをすぐに消し去る。

 
他人のことを恨まない。妬まない。陰口を叩かない。嫌な言葉は必ず言霊になる。

 
 
「全て自分が源だ」と、そんなときにこそ思う。

 
ましてや自然災害にあったときに「これも神様の与えし試練」と思うべきなのであるから、それ以外は全て自責の念が大切となる。

 
 
誰にもある。絶好調も絶不調も。

 
良いときは勝手に色んなことが良いようになる。悪いときにこそ真価が問われるし、自分の今現在のステージがわかる。

 
困難に直面したときこそ試されている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 20:47

2020年11月16日

コロナのリスクとリスクの先にあるもののバランス

コロナコロナという一年で終わりそうな11月も半ばであります。

 
子供達にとって、人生で1回の修学旅行や各種大会はさせてあげたいと思う。まわりの話や新聞に載っている「代わりにこんな活動をした」などの記事を見るとかわいそうにと思う。

 
私は高2のときに阪神大震災があり、高3の修学旅行は新幹線がダメで、バスで新潟まで行かせてもらった。車酔いしましたが、今思えばありがたいことです。後にも先にもそのときしかスキーをしたことがないので良い思い出です。

 
 
コロナくらいのものであればそこにはもっとリスクをとってもよいのではないか。

 
また、それも教育であり、そこをスタンダードに考える子供たちが大人になると、ますます無難に無難に生きていく。

学生時代に大人になってから勝負する生き方も教えるべきだ。

 
当然ステージ4のすい臓がんにつながる感染症であるならばそれは言わない。

 
しかし、なんでもかんでも安全パイをとるのはあらゆる成長を妨げる。成長なくして存続はないのに。原理原則です。

 
 
「コロナくらい感染してもそれを出来るならまぁ納得だ」と言えるようなものはどんどんこれからはすればよいと思う。

 
特に人生で1回きりの行事は、感染対策を全力でし、その上で開催してほしい。これから入試もある。

 
大人も、そこに挑む人たちが、仮にコロナを感染しても責めないことだ。ふざけてやったのではなく、挑んだ人は讃えてほしい。

 
コロナの第3波と騒ぐ。そこまでのものか。3波でも4波でもいいですが、挑む気持ちを持ち、行動しないといけない。

特にこのようなコロナ禍と言われているようなとき、やった人と安全パイの人の比率が大きく偏るので、いつもの数倍数十倍の差になる。チャンスでもあり、挑まないともう追いつけなくなるという最大最高のリスクが控える。

 
 
コロナ感染のリスクとは比べものにならないくらいのリスク。

 
 
挑みたいし、一生に一回のことはさせてあげたいと思うのです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 10:28

2020年11月15日

君付け

なぜか50歳代以下の建築関係の職人は、知人の年上の職人を「〇〇君」と呼称する。

 
100%ではないが、かなり高い確率で「〇〇君」と言う。

 
私の常識では、君付けは年下に対する呼称なのですが、職人は年長者に君付け、年下は呼び捨てであり、決して君付けはしない。

 
まるでジャニーズ。昔からおもしろいなぁと思っている。なんで先輩に君付けなのと。

 
もともとヤンキーが多いからか。また40歳、50歳代の青春時代の不良系漫画の影響かと私は分析する。

 
そして、そいういえばと思う。私にも君付けする年下がいると。

 
私が大人になって知り合った年下の知人が私に「魚住君」と言ってきたらおそらく私は怒る。誰が君だ、バカにしてるのかと。

 
しかし、幼馴染の後輩が「魚住君」と今でも言う。それに対して何の違和感もない。むしろ急にさん付けしてきたら何かしらじらしいと思うだろう。

 
 
特に落ちのない話ではありますが、君付けはあるときは敬意を込めて、あるときは親しみを感じ、そしてあるときは年下や部下という意味を含めて使われる。

 
日本語が難しいと言われる所以のような表現ですが興味深い。

 
身近で職人が年上の職人に対して「〇〇君」と言っているのを聞くたびにおもしろいなぁと思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 20:02
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