社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2018年12月05日

「あんた、これ持って帰り」

今日お客様に柿をいただきました。

 
お客様にもらう

 
 
約15年ぶりに工事をさせていただいたお客様です。

 
 
昔、20歳代の頃はよくお客様にお菓子や果物、野菜やお酒をいただきました。

「あんた、ご飯食べとるの?」と食事を作っていただいた数だけでも数十回はあります。

 
しかし、そういえば近頃はめっきり減りました。

 
歳が41歳にもなったからか。

 
昔は出されたお菓子も「あんた、これ持って帰り」とカゴに入れられたそれを全部袋に入れてもらっていたのに。

 
こうやって柿とか何かをくださるのは昔からのお客様。これは一概に言えます。

 
寂しいような。それは当然かというような。はたまた昔からのお客様にはいつまでも子供に見えているのかと嬉しいような。

 
 
いつでも何でもいただきますので、これからのお客様も何でもくださいね。

 
昔からのお客様、いつまでもかわいがってくださいね。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 19:16

2018年12月05日

あおり運転の記事から

今日の日経新聞と神戸新聞の社会面です。

 
日経

あおり運転

 
神戸

あおり運転

 
 
子供にこのような思いをさせる事件が本当に許せないです。

 
家族旅行、楽しかったねと言いながら帰っていた東名高速で、よもやこんなことが起こるなんてこの娘さんたちは考えもしなかっただろうに。

 
絶対にこんな思いを子供にさせてはいけない。それが大人の役割です。怖かっただろうし、悲しかったなぁと思います。

 
 
あおり運転。情けない行動です。あおり運転をなくすために、あおり運転が恥ずかしい行動だと書かせていただきます。

 
私、ベンツのSクラスで走っていてあおり運転はされたことがありません。Eでも無かった。中古でもスリーポインテッドスターがついていれば無かった。ただのベンツマークです。

そんな私、軽トラックに乗っているとあおられます。気が付けば真後ろにいます。急ブレーキを踏んであげますが。

車で判断する人は愚かである。

 
世の中にはロールスロイスに乗っていてもつまらない人はいますし、軽自動車に乗っていても立派な人は多くいます。

ベンツに乗っていても借金まみれもいますし、アルトに乗っていても慈善活動をしている人も多くいます。車で人を判断「してしまう」人は低次元である。

 
車に乗っているのが女性やお年寄りのときだけあおる人。これは人として恥ずかしい。

社会的に立場がない人、またケンカが弱いと思われる人間にだけ突っかかる人、客になったら店員に偉そうに言う人などがこれである。

車の中に身長190センチくらいの大男が、髪の毛をピンピンに立たせてサングラスをかけている状態でそんな人はあおらないでしょう。そんな時にあおってみなさいと思う。恥ずかしい。

 
 
車を運転していてカチンとくることはあります。しかし、それをすぐに行動にうつすのは違いますし、大人の社会で手を出す行為がそもそも幼稚である。

 
あおり運転はこのように恥ずかしい人がする行為である。

 
我々は絶対に危険を増やすようなこのような運転はしてはいけませんし、子供たちに記事のような想いをさせてはいけません。

 
同じ大人として申し訳なく、そして腹立たしい感覚であります。ごめんなぁと思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 14:48

2018年12月04日

困難に直面しているあなたへ

現在目の前に困難が大なり小なり立ちはだかっている人はまさしく成長のチャンスである。

 
むしろそんなことが何もなく、平和である〜とのほほんとしている人は不幸である。

 
いや、そんないわゆる平和がたまにあればホッと息もつけるのでいいかもしれないが、そんな期間が長いということは成長の機会を設けることが出来ないので私は不幸せだと思う。

 
我々に困難という成長の機会を与えてくれるのは神様である。

 
ちなみに自らのいい加減さで招いた問題は困難とは言わない。それはそのいい加減な事とのバランスが取られているだけ。クリアしても成長はなくトントンである。

 
あなたは「なぜ俺だけにこんなことが」「私ばっかりになんで」と思っているかもしれない。

 
しかし、それは神様があなたならその困難を乗り越え、また前に進むと期待している現れである。

 
困難を感じている今こそ、普段に学んだことを活かすときである。

 
状態の良い時には誰もが耳障りの良いことを言う。

 
困難に迫られた時、その時と同じことを思え、飲み込み、考え、そして言えたら本物である。成長できている。

 
 
昔、何かの本に書いていました。「人はみんな何かの問題を抱えている。でも普通の顔をして日常を暮らしている」みたいなことを。

 
強く生きる。生きなさいと神様が命をくれたのですから、全力で生きることが使命なのだと思う。とにかく強く生きることです。強く強く強く。必ずそれを超えると「良かった」と思う。思うのはもちろん超えたあなただけです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 23:32
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