
神戸新聞は、今日は社会面や社説にも、この立花さんの逮捕を受けての記事を掲載しています。
すごいな、神戸新聞。積年の恨みみたいな。
突撃とばかりの論調であります。



しかし、神戸新聞はじめ、メディアは鬼の首をとったように報道するな。
最初に申し上げますが、私は立花さん擁護の立場で感じていますし、今から好きなように思ったことを書きます。
まず最初に感じたのは、やはり、権力にたてつくと警察に逮捕されるということです。
「悪いことをしたら警察に捕まる」という教育ではなく、前述がそうなるということが、世界的にも常識であるなということのあらためての認識。
今回の件、逮捕されるようなことなのかな。
まず根底に思っておりますのは、今日の神戸新聞の社説の中段の真ん中で書かれています「竹内氏や家族の尊厳が回復されることを願う」というのは、これは一歩間違えたら斎藤知事はそうなっていたし、斎藤知事の奥様、ご家族はどうなるのか。
大変な想いをされていますよ。ところが、それは完全に無視である。
あれは権力闘争だったのだし、政治って、権力の取り合いで、時には人の命がかかることは至極自然なことではないだろうか。
命、命というのは基本リベラルな思想であり、私は、物事を成し遂げる上で、人の命より大事なことはあると思うし、そう思って命を捧げる覚悟のある者しか、何かをやりきることはできないと考えている。
名誉毀損。それはお互いさまだろうし、特に近年の選挙は米国の影響を受けて誹謗中傷が公然とされるようになった。
最も、これは良い傾向ではないと思います。
他人を誹謗中傷するより、自らの政策を語ってほしいと思うが、しかし、大衆心理はおもしろおかしい方に動く。
今回の立花さんの件、私は、立花さんはどこの誰と名乗ったうえなのだから、極論、何を書いても良いと思う。
それは憲法が保障するところではないだろうか。
問題なのは、匿名でSNSをやっていて、その匿名の大衆が扇動され、また次を煽ったことではないか。そう、それは斎藤知事派も反斎藤知事派も同じであると私は考えている。
あのときのSNSでのお互いの誹謗中傷、それもどこの誰かも分からない人間が、下品な物言いで好き勝手言う状態。見ていてひどいなと思いましたし、あれこそが問題である。
立花さんが、正しいこと、間違えたことのどちらもを発信したとしても、立花さんのように、匿名アカウントの大衆が素性を明かしてSNSをしていたら、果たしてここまでの問題になっていただろうか。
ほとんどの人が、発言に責任を持たなくていいSNSだから好き勝手言っているのであり、責任を持たないといけなくなれば発信する内容、言葉遣いは変わるはずである。
立場が違えばいろんな考えがある。それが正しい姿であるし、だから日本は中国ではないのだ。
神戸新聞は、ここで勝ち誇ったみたいにプロパガンダしていると、何より重要な部数がなくなってしまいますよ。
ここで、一度マスコミとしての中立性を考えた方がいいだろう。
まだ染まっていない若い社員もいるだろう。ここは分岐点ですよ。
あと、斎藤知事はやっぱりおもしろいなぁ。
あの選挙期間中でのSNSでのお互い陣営の誹謗中傷は「把握していない」と言うし、立花さんの投稿を見たことがありますかと言う記者の質問に「タイムラインでは流れてきたことがあるが、中身を見たことはないんです」と回答されている。
それで良い。
それをやりきれるから今がある。
私だったらブチ切れているだろうからダメだ。さすが斎藤知事である。
立花さんも斎藤知事も、どちらもさらに頑張ってほしい。権力に負けたらいけない。
立花さんみたいな人がいても良いんじゃないかな。
レールに沿わない人をキャンセル、キャンセルというこのキャンセルカルチャーは絶対に間違えていると私は思う。





