昼過ぎから、明日の花見の買い出しや用意を企画戦略広報課の柴田と坂がしているようです。
もちろんここに至るまでの過程でさまざまなプランを練り、見積もりをし、オッケーしたり却下したりしましたが、みんなのことを考えて一所懸命してくれていました。
毎年恒例のオレンジナイトのお花見、明日も100人を超える関係者が参加下さいます。ぱっと思いつきで出来ない人数ですから、計画と段取りが当日の動き以上に重要となります。
思えば一年目から花見はやっていますが一年目は20〜30人でした。
三年目くらいまでは準備は僕が全てしていました。
だからすごくありがたいんです。
大変さがわかるんです。
花見の前の日は夕方早めに営業をやめ(朝から晩まで営業活動をしていましたので)、そこから肉屋さん、スーパー、ホームセンターから業務用品店などを軽トラックに乗り走り回っていました。
今ほどではないですが、参加人数が多いからとても買い物にも時間がかかるんです。
その間もお客様からも職人からも会社からも電話が入りますし、必ずイレギュラーが起こるのでそれだけにかかっておけません。
野菜を切ったりするようなことは他の者がやってくれていたので、帰社してからはまた営業の事務処理に戻れましたが、下準備をしてくれている人たちはかなり夜遅くまでかかっていたのを鮮明に記憶しています。
僕はその後、経営の仕事を真夜中にしていたので、今のこの時間に準備をしないで自分の仕事をし、明日の花見を迎えられることが非常にありがたいなと感じます。
それぞれが役割を持ち、それに邁進することで一つのことが完成していると感じます。
営業は明日の花見の買い出しなどをせずに明日を迎えられることに感謝しなければなりません。
今、準備をしている者は、営業活動をしている者たちがいるから直接お金を産まない動きに専念できることにまた、ありがたいと思わなければなりません。
料理の下ごしらえ、場所取りや朝の準備をしてくれる人がいるから明日が迎えられる。
僕は今年も普通に花見が開催でき、たくさんの方が参加してくれ、社員が喜んでくれることに感謝しなければなりません。
お花見一つとっても当たり前は一つもありませんし、感謝の気持ちや感謝の動きがいっぱいありますよね。
2014年04月11日
明日の花見への想い
posted by orangeknight at 15:40
2014年04月10日
起こりうる事象への考え方
「会社は誰でも設立できる」僕はいつもそう思っています。
本当に偉いのは、長いこと存続させ、大きくした人だと思う。
それは、毎日の出来事に立ち向かい、あきらめずに挑戦してきたからこそ長いこと存続したと思えるから。これは変化を日々繰り返し成し得たことだと考えます。
大きくしたのが偉いというのはそれだけ社会に貢献しているからという意味で、税金を納めないと合格ではないですし、雇用などの面も含め自分一人ではなく、二人以上というのが人の役にたっているとした見解です。
長い事存続させ、大きくした会社の経営者やそれを支えた人たちは本当にいろんな事があったんだろうなと思います。
嬉しいこと、悲しいこと、腹のたつこと、涙のでることいろんなことが。
いろんな事があるたびに、僕も昔から「軽く」使ってきた「感謝の気持ち」ということが理解できるようになってきました。
この「感謝の気持ち」というものは非常に奥の深いものだと感じてきました。
口で感謝というのは簡単ですが、僕が少し理解できるようになってきたことを考えると、本当の感謝の気持ちを理解できるようになられた方々や、それが悟れた人々はどういう心境に至っているのかととても興味深く感じます。
悪い事だけではなく良い事が起こってもそれはその人に与えられた試練、と京セラの稲盛さんが書かれていましたが、それはあらゆることが身に降り掛かってきても全て受け止める気持ちと、さらにありがたいなぁという感謝の気持ちが生まれるからこそたどり着ける境地ではないかと考えます。
起こりうる全ての事象に感謝しうるからこそ物事は好転すると思います。
まだまだ僕は即座にそう感じられないところがありますが、絶対にそう思うようにしていきます。
低次元な話に低次元な感じ方、また応酬をしていてはいけない。神様が与えた試練であると感謝の気持ちで受け止め、考え、悪いことならそれを好転させていくことが自身のステージを上げる。そして諦めない、諦めない限り継続する。
長い事会社を継続させ、大きくした経営者とそれを支えた人々は、だから尊敬できる。
いろんなことを乗り越えてきた。
オレンジナイトも僕も僕のまわりの人間も必ずそうなるんです。必ず。
チャンスがやってまいりました!
本当に偉いのは、長いこと存続させ、大きくした人だと思う。
それは、毎日の出来事に立ち向かい、あきらめずに挑戦してきたからこそ長いこと存続したと思えるから。これは変化を日々繰り返し成し得たことだと考えます。
大きくしたのが偉いというのはそれだけ社会に貢献しているからという意味で、税金を納めないと合格ではないですし、雇用などの面も含め自分一人ではなく、二人以上というのが人の役にたっているとした見解です。
長い事存続させ、大きくした会社の経営者やそれを支えた人たちは本当にいろんな事があったんだろうなと思います。
嬉しいこと、悲しいこと、腹のたつこと、涙のでることいろんなことが。
いろんな事があるたびに、僕も昔から「軽く」使ってきた「感謝の気持ち」ということが理解できるようになってきました。
この「感謝の気持ち」というものは非常に奥の深いものだと感じてきました。
口で感謝というのは簡単ですが、僕が少し理解できるようになってきたことを考えると、本当の感謝の気持ちを理解できるようになられた方々や、それが悟れた人々はどういう心境に至っているのかととても興味深く感じます。
悪い事だけではなく良い事が起こってもそれはその人に与えられた試練、と京セラの稲盛さんが書かれていましたが、それはあらゆることが身に降り掛かってきても全て受け止める気持ちと、さらにありがたいなぁという感謝の気持ちが生まれるからこそたどり着ける境地ではないかと考えます。
起こりうる全ての事象に感謝しうるからこそ物事は好転すると思います。
まだまだ僕は即座にそう感じられないところがありますが、絶対にそう思うようにしていきます。
低次元な話に低次元な感じ方、また応酬をしていてはいけない。神様が与えた試練であると感謝の気持ちで受け止め、考え、悪いことならそれを好転させていくことが自身のステージを上げる。そして諦めない、諦めない限り継続する。
長い事会社を継続させ、大きくした経営者とそれを支えた人々は、だから尊敬できる。
いろんなことを乗り越えてきた。
オレンジナイトも僕も僕のまわりの人間も必ずそうなるんです。必ず。
チャンスがやってまいりました!
posted by orangeknight at 17:11
2014年04月08日
祖母の葬儀に行ってきました
祖母が亡くなり、通夜と葬儀に愛知県に行ってきました。
生まれたときから25歳で実家を出るまで共に過ごした父の母です。父が2年前に病気になってからは介護ができないので、父の弟が暮らしている愛知県に引っ越していました。
88歳なので大往生だと思います。
介護が必要な状態でしたし、正月に会ったときからほぼ意識がなかったので覚悟は僕も家族みんなもしていましたし、両親も準備ができていたので悲しいですが親戚、従兄弟とも久しぶりに会えて良かったと思います。
そして、もう一つ安心と言いますか、心から良かったと感じていることがあります。
僕の頭の片隅にずっとずっとあったこと。
それは祖母と父の寿命の事。
僕の父は僕にはまだまだ欠如している優しい気持ちをもった人で、祖母が調子が悪くなってからは病院や買い物に連れて行くのは当たり前で常に面倒をみていました。
そんな父が大きな病気になり、祖母の面倒がみられなくなったことをすごく気にしていました。
僕には一切そんなことは言いませんが、実家から愛知県に引っ越しをさせるのも苦渋の決断だったと思います。
父は何度か手術をしていますが、最初の大きな手術を乗り越え、退院できた時僕が車で祖母に会うために連れていったときは泣いていました。
祖母も父に「声はでなくなってしまったが命があって良かった。良かった。」と泣いていました。
僕と母の関係でもそうですが、母は一生お母さんで息子は60歳になっても70歳になっても息子なんですね。
祖母が「私より先に逝ったらあかんで」と父に言っていました。
父はうん、うんとうなずいていたのが印象的で、それ以後何度か僕は父に「おばあちゃんの葬式は出たらなあかんよ」と話をしていました。
僕にも子どもがいますが、僕が子より先に死ぬのに何の抵抗もありませんがその逆は考えられません。
おぎゃーっと生まれたあの小さい娘と息子の体をだっこした感触は今でも鮮明に覚えていますし、一生忘れることはないでしょう。
祖母も父に対してそうだと思います。
なので、今日無事に父が祖母の葬儀に参列でき良かったなと思っています。
父の後ろに僕は座っていましたが、その光景を望んでいましたので本当に良かったと思いました。
おばあちゃんとの思い出もいっぱいあります。感謝しています。
とても良くしてもらいましたし、おばあちゃんがいなかったら僕は存在していないという類いのことを最近よく考えるようになりました。
そして、何より順番が守られて良かったと、ずっとそれがひっかかっていたので本当に良かったと思っています。
子は親より先に死ぬのが最大の親不孝。父はやはり親孝行だと思いましたし、祖母も喜んでいると思います。
生まれたときから25歳で実家を出るまで共に過ごした父の母です。父が2年前に病気になってからは介護ができないので、父の弟が暮らしている愛知県に引っ越していました。
88歳なので大往生だと思います。
介護が必要な状態でしたし、正月に会ったときからほぼ意識がなかったので覚悟は僕も家族みんなもしていましたし、両親も準備ができていたので悲しいですが親戚、従兄弟とも久しぶりに会えて良かったと思います。
そして、もう一つ安心と言いますか、心から良かったと感じていることがあります。
僕の頭の片隅にずっとずっとあったこと。
それは祖母と父の寿命の事。
僕の父は僕にはまだまだ欠如している優しい気持ちをもった人で、祖母が調子が悪くなってからは病院や買い物に連れて行くのは当たり前で常に面倒をみていました。
そんな父が大きな病気になり、祖母の面倒がみられなくなったことをすごく気にしていました。
僕には一切そんなことは言いませんが、実家から愛知県に引っ越しをさせるのも苦渋の決断だったと思います。
父は何度か手術をしていますが、最初の大きな手術を乗り越え、退院できた時僕が車で祖母に会うために連れていったときは泣いていました。
祖母も父に「声はでなくなってしまったが命があって良かった。良かった。」と泣いていました。
僕と母の関係でもそうですが、母は一生お母さんで息子は60歳になっても70歳になっても息子なんですね。
祖母が「私より先に逝ったらあかんで」と父に言っていました。
父はうん、うんとうなずいていたのが印象的で、それ以後何度か僕は父に「おばあちゃんの葬式は出たらなあかんよ」と話をしていました。
僕にも子どもがいますが、僕が子より先に死ぬのに何の抵抗もありませんがその逆は考えられません。
おぎゃーっと生まれたあの小さい娘と息子の体をだっこした感触は今でも鮮明に覚えていますし、一生忘れることはないでしょう。
祖母も父に対してそうだと思います。
なので、今日無事に父が祖母の葬儀に参列でき良かったなと思っています。
父の後ろに僕は座っていましたが、その光景を望んでいましたので本当に良かったと思いました。
おばあちゃんとの思い出もいっぱいあります。感謝しています。
とても良くしてもらいましたし、おばあちゃんがいなかったら僕は存在していないという類いのことを最近よく考えるようになりました。
そして、何より順番が守られて良かったと、ずっとそれがひっかかっていたので本当に良かったと思っています。
子は親より先に死ぬのが最大の親不孝。父はやはり親孝行だと思いましたし、祖母も喜んでいると思います。
posted by orangeknight at 22:04
-
Twitter
-
最近の記事
-
過去ログ
- 2025年5月 (20)
- 2025年4月 (34)
- 2025年3月 (35)
- 2025年2月 (34)
- 2025年1月 (30)
- 2024年12月 (41)
- 2024年11月 (32)
- 2024年10月 (35)
- 2024年9月 (42)
- 2024年8月 (30)
- 2024年7月 (40)
- 2024年6月 (41)
- 2024年5月 (35)
- 2024年4月 (42)
- 2024年3月 (53)
- 2024年2月 (39)
- 2024年1月 (37)
- 2023年12月 (40)
- 2023年11月 (35)
- 2023年10月 (33)
- 2023年9月 (39)
- 2023年8月 (36)
- 2023年7月 (37)
- 2023年6月 (42)
- 2023年5月 (32)
- 2023年4月 (31)
- 2023年3月 (38)
- 2023年2月 (32)
- 2023年1月 (31)
- 2022年12月 (36)
- 2022年11月 (34)
- 2022年10月 (28)
- 2022年9月 (27)
- 2022年8月 (30)
- 2022年7月 (32)
- 2022年6月 (40)
- 2022年5月 (21)
- 2022年4月 (34)
- 2022年3月 (40)
- 2022年2月 (31)
- 2022年1月 (34)
- 2021年12月 (35)
- 2021年11月 (32)
- 2021年10月 (34)
- 2021年9月 (39)
- 2021年8月 (35)
- 2021年7月 (42)
- 2021年6月 (30)
- 2021年5月 (28)
- 2021年4月 (30)
- 2021年3月 (29)
- 2021年2月 (34)
- 2021年1月 (37)
- 2020年12月 (38)
- 2020年11月 (38)
- 2020年10月 (36)
- 2020年9月 (32)
- 2020年8月 (36)
- 2020年7月 (34)
- 2020年6月 (36)
- 2020年5月 (39)
- 2020年4月 (43)
- 2020年3月 (40)
- 2020年2月 (36)
- 2020年1月 (34)
- 2019年12月 (37)
- 2019年11月 (28)
- 2019年10月 (30)
- 2019年9月 (43)
- 2019年8月 (33)
- 2019年7月 (34)
- 2019年6月 (34)
- 2019年5月 (25)
- 2019年4月 (29)
- 2019年3月 (37)
- 2019年2月 (34)
- 2019年1月 (28)
- 2018年12月 (32)
- 2018年11月 (31)
- 2018年10月 (34)
- 2018年9月 (37)
- 2018年8月 (29)
- 2018年7月 (39)
- 2018年6月 (40)
- 2018年5月 (34)
- 2018年4月 (35)
- 2018年3月 (34)
- 2018年2月 (25)
- 2018年1月 (31)
- 2017年12月 (29)
- 2017年11月 (31)
- 2017年10月 (30)
- 2017年9月 (33)
- 2017年8月 (39)
- 2017年7月 (39)
- 2017年6月 (35)
- 2017年5月 (40)
- 2017年4月 (42)
- 2017年3月 (34)
- 2017年2月 (41)
- 2017年1月 (41)
- 2016年12月 (40)
- 2016年11月 (35)
- 2016年10月 (37)
- 2016年9月 (43)
- 2016年8月 (49)
- 2016年7月 (38)
- 2016年6月 (44)
- 2016年5月 (46)
- 2016年4月 (41)
- 2016年3月 (43)
- 2016年2月 (41)
- 2016年1月 (43)
- 2015年12月 (43)
- 2015年11月 (45)
- 2015年10月 (41)
- 2015年9月 (36)
- 2015年8月 (36)
- 2015年7月 (33)
- 2015年6月 (23)
- 2015年5月 (30)
- 2015年4月 (34)
- 2015年3月 (38)
- 2015年2月 (26)
- 2015年1月 (27)
- 2014年12月 (28)
- 2014年11月 (31)
- 2014年10月 (20)
- 2014年9月 (21)
- 2014年8月 (21)
- 2014年7月 (26)
- 2014年6月 (23)
- 2014年5月 (21)
- 2014年4月 (22)
- 2014年3月 (22)
- 2014年2月 (21)
- 2014年1月 (20)
- 2013年12月 (22)
- 2013年11月 (22)
- 2013年10月 (22)
- 2013年9月 (26)
- 2013年8月 (25)
- 2013年7月 (27)
- 2013年6月 (31)
- 2013年5月 (31)
- 2013年4月 (35)
- 2013年3月 (33)
- 2013年2月 (29)
- 2013年1月 (38)
- 2012年12月 (30)
- 2012年11月 (35)
- 2012年10月 (34)
- 2012年9月 (35)
- 2012年8月 (30)
- 2012年7月 (39)
- 2012年6月 (29)
- 2012年5月 (31)
- 2012年4月 (38)
- 2012年3月 (33)
- 2012年2月 (29)
- 2012年1月 (27)
- 2011年12月 (24)
- 2011年11月 (31)
- 2011年10月 (25)
- 2011年9月 (27)
- 2011年8月 (26)
- 2011年7月 (42)
- 2011年6月 (2)