社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2013年02月24日

協力業者会をしました

画像画像画像昨日は姫路の西延末にあります、姫路市文化センターで協力業者会を開催しました。

協力業者会とは、シカマ工務店の工事をしてくれている全業者を集めて、会社の方針や安全や問題点について話し合う会です。

まだまだ、未熟な会ですが、会を重ねるにつれ少しずつ成長している感じがしています。

昨日の議題は、請求書に関してなどを中心としたものでした。

現在はうちが各社からもらう請求書はそれぞれが作った書式や、市販のものでみんなバラバラなんです。

それを、昨年末から会社が指定する書式に統一することに決めていまして、今月末から開始するにあたっての説明などをさせていただきました。

月末月初に請求書がガバっと届くんですが、大きさ、縦横、書式など全て違いますし、見方もそれぞれですのでうちの総務課の処理が煩雑となってきています。

これを、お手数ですが各社に協力願い、統一することでその処理時間がかなり短縮できるのではと期待しています。

それとともに、現場での徹底事項を再度、話をしました。

簡単なことでもできていないことがあります。

お客様から完工後にいただくようにしているアンケートハガキにも営業担当者、工事担当者、職人や事務受付、そして僕の管理についての疑問など様々なお声をいただきます。

全て真摯に受け止め、やはり工事が終わったときに、全てのお客様から普通に「ありがとうな」といっていただけるよう全員で取り組んでいきたいと考えています。

僕もいつも変わり、意識しないといけませんし、こういう場で常に言い続けることは必ず実を結ぶと思っています。

どんどん進化させ、自分の手元から離れるまで成熟した会にしていきたいと考えています。


posted by orangeknight at 13:38

2013年02月23日

好き、嫌いを出さない

昨日、ある社員と他の社員への接し方の話をしました。

その者に限らず、これは最近よく話題になる内容なんです。

「僕、私はどういうスタンスでやっていけばいいのか?」「どうすればうまくいくのか」など、ある立場になった者や、できかけた、作りかけた者の共通の悩みなんでしょう。

僕も常に考えます。

僕の考えるリーダー論はたくさんありますが、かなり重要視している感覚に「好き嫌いを出さない」というのがあります。

当たり前の事かもしれませんが、難しいことです。

人間ほとんどの方の感覚として「合う、合わない」というものがあるんではないかと思います。

しかし、横並びならともかく、上下の関係になったなら、また目指すならその考えは捨てた方が良いと思います。

人は一方が苦手だな、嫌いだなと感じると相手には伝わるもんです。

態度にでますし、目を合わさない、笑わないなどすぐにわかります。

ましてやそれが上司や先輩だと部下や後輩はいたたまれません。

よく言われるのに「部下は上司を選べません」というのがありますよね。

この好き、嫌いという感覚を一切排除すれば下の者の態度は変わりますし、極端に言えば、ある者が誰かの陰口をささやいてきた時、その者がそれに乗らず「まぁ、たしかにそうかもしれないが、彼のこんなところもあるよ…」と話すとその瞬間に完全に立場が距離と同時にできます。

上になるにあたり孤独感に耐えられないような者はその資格がありません。

みんなに良いように思われたいと考える甘い上司を持つほど部下がかわいそうなことはありませんし、ある意味別格になってあげないと全ての下の者のよりどころとなりえません。


上からすべからく部下や後輩をみよう、一線おいて、としようとするなら捨てなければいけないものは多々ありますよね。


まぁ、でもそれぞれの立場に合わせ、またそれぞれのスタイルで、そしてここが大切だと僕は思うんですが、相手に合わせ、接し方を変えればいいんではないかと考えます。


そして、もう一つ、好き嫌いの感情を排除したうえで、意欲的な者、できる者、雑用をすすんでしている者、忠実な者に対しては区別して仕事は進んでふれば良いと思います。

「かわいい」という感覚は年齢や性別に関係なくあります。この感覚は2者どちらもが捨てるどころか、意識したら良いと考えます。

会社は学校ではないですからそこに平等の考えは不要ですし、間違っていると思います。

上司は人格を磨き、部下はいかに認められるかをあらゆることにおいて意識すればいろんな意味でうまくいくんではないでしょうか?












posted by orangeknight at 08:51

2013年02月22日

死刑の執行は当然すべき

日本の刑罰の中で究極は死刑です。

昨日、3人にそれが執行されたらしいですね。

いつもその翌日には、新聞に歴代法相の執行人数などがでますが、僕は法相になったのであればきちんと職務を全うしなければいけないし、勝手な判断で執行を停止するような人は違憲だとも思います。

なぜか、日本では加害者のことを更正させたがりますが、基本、平時において、意図的に罪のない人を殺したら当然死刑だと思います。

いろんなパターンがありますし、その都度入念な裁判が必要ですが、死刑がなくなったら被害者の遺族はどうなるんでしょうか?

死刑反対の方は例えば、自分の10歳の娘がわいせつ目的で連れ去られ、首を絞められて殺されたような場合も反対を唱えるんでしょうか、まるで仏様です。

その制度がなくなったら僕なら自分できちんと仇を討ちます。それこそ至極当然の有様で、そのような方をださないためにも必要な制度なのです。

刑務所の中や、執行する場所などをもっとオープンにすれば良いという意見もありますが、それは残酷なシーンを国民みんなに具現化させ、それで制度反対の世論を作ろうとするグループの策略としか僕には思えません。

そこをさほどオープンにしないことが、刑に服す人への、この世の最後の情けではないでしょうか。

その妙が相手の更正とかそんな次元ではない、きちんと罪は償わせ、そのうえでの同じ人間としての相手への美徳ではないでしょうか。

そして一人殺したとか二人だったとか、この人数による何とか基準ですが、これは間違っています。

間違った裁判官の判例はすぐに正すべきだと考えます。


何でもかんでも権利権利という前に、本当の意味で相手を思いやる気持ち、これをもっと大きな判断基準にすればいいと思います。

人として大切な生き方は武士道だと思います。


posted by orangeknight at 13:39
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